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日の入町より 『歪』

本腰を入れて創作ができるような状況では無いものの、なにか夏を感じるものを読みたいと思い、AIくんに執筆を代行していただきました。

後で漫画にします(多分)

= 1 =

七月、春暮高校。
セミはもう鳴きはじめていたし、空も十分に夏の顔だった。

けれど、妙に空気が乾いていた。

地面の熱気に反して、風は冷たくて、誰かが言うには「海の近くの町でだけ吹く風」らしい。

そんなものを、海なし県のこの町で感じたのは初めてだった。

チャイムが鳴って、今日の授業が終わる。
渉が窓のそばで伸びをして、ノートを閉じる音がぱたんと響いた。
「恵樹ー、
なーんか長かったな、今日の数学」
「うん」
俺は返事をするけれど、目は外にある青のグラデーションに引き寄せられたままだ。

なんか、おかしい。
毎年この時期になると、似たような風景を見てきたはずなのに、今年のそれは、どこか違っていた。

たとえば、空の色が一段浅いとか、入道雲の形がくずれてるとか、そういう物理的なことじゃなくて。

記憶のなかにある青と、今目の前にある青が、まったく違うものに思えた。

教室を出たあとも、その違和感はつきまとった。

廊下の窓から見える校庭、購買のパンの陳列、体育館裏の自販機。
どこを切り取っても、今年の夏が偽物みたいに見える。

「……渉、さ。なんかさ、変じゃない?」
「なにが」
「え、ほら……、ううん、なんでもない」

――思い出せない。
何がなくなったのかも、誰がいたのかも。
でも、それが確かに“あった”という確信だけが、俺の中に焼きついていた。

​​

= 2 =

放課後、春暮高校の坂道を下る。

学校の正門から町へと続くこの道を、俺たちは毎日歩いている。

けれど、今日のそれは、やけに遠かった。

道幅が広がったのか、空が低くなったのか、はたまた時間のほうが変質してしまったのか。

「……夏って、こんなに静かだったっけ」
俺がぽつりと言うと、隣の渉は「んー?」と気の抜けた声を返した。
「静か?」
「音はあるんだけど、なんていうか……。遠くで鳴ってる感じ。

耳の奥で響いてるのに、届かないみたいな」
「ふうん、
……お前、最近寝れてる?」
「……いや、普通に寝てるけど」
「そっか」

渉の返事は短く、それ以上なにも言わなかった。

けれど、彼の表情は、俺の言葉の意味をちゃんと拾っているようだった。
俺は視線を足元に落とす。

アスファルトに落ちる影が、何かの形をしているようでしていない。

ただの影なのに、誰かの姿に見える気がした。

日が落ちる前、町の空気がゆるやかに冷えていく。
セミの声も、いつの間にか止んでいた。

その夜。
部屋でひとり、天井を見ていた。

扇風機が回る音。

窓の外で自転車のブレーキが鳴く音。隣の家のテレビの音。

どれもこれも、ほんの少しずつズレて聞こえる気がする。
――音じゃない。

世界のテンポそのものが、少し遅れてるのかもしれない。

気づけば、机の上にあったノートの隅に、見覚えのない文字が書かれていた。

書いた記憶はない。
けれど、その字は、紛れもなく俺の筆跡だった。

= 3 =


翌朝、目が覚めたとき、蝉の声がしなかった。
けれど窓の外には、昨日と変わらない真夏の空が広がっていた。

空は青かった。

青すぎるほどに。

遅刻しそうになって、食パンも何も咥えずに家を飛び出した。

走る足の下で、道の感触がやけに軽い。

踏みしめているはずなのに、どこにも体重がかかっていない気がした。

けれど、俺の体は確かに前へ進んでいて、風も背中を押している。

学校に着くと、誰もいなかった。
一瞬、休日だったかとカレンダーを思い出しかける。

けれど昇降口には靴が並んでいたし、教室の黒板には昨日の授業の名残が残っていた。

静まり返った廊下の奥。
誰かが呼ぶ声がしたような気がして、俺は音のするほうへ歩いていく。
その声は見知った誰かのものではなく、誰でもない知っている声だった。

校舎のいちばん端、旧校舎の裏手――その廊下の先に、いつもは開いていない扉があった。
俺は、どうしてか知っていた。

その扉の向こうには“昨日の教室”がある。

誰もいないのに、まだ生徒たちの気配だけが残っている、昨日のままの教室だ。

ノブを握る。冷たさも、重さもない。
扉は静かに、するすると開いた。

中には誰もいなかった。
机が並び、椅子が引かれたままになっていた。

黒板には、今日の日付が書かれていた。
そこにいるはずの人々の気配だけが、薄く、床や壁に沈んでいる。

教室というよりは、かつて教室だった“残像”のようだった。

窓の外から風が吹く。

紙が舞う音がして、ひとつのプリントがふわりと俺の足元に落ちた。
何気なく拾うと、そこには見覚えのない問題が印刷されていた。

《つぎの問いに答えよ。君は本当に、今ここにいると言えるか。》

筆記欄は空白だった。
俺は答えられなかった。

そのとき、背後から誰かが言った。

「恵樹」
渉の声だった。


= 4 =


――誰かが俺を呼んだ気がした。

「恵樹」

それは、渉の声に似ていた。
だけど、振り返っても誰もいなかった。

ただ、教室のドアがゆっくり閉まっていく。

その動きだけが確かにあって、それ以外の音はなかった。

蝉の声も、廊下の軋みも、人の気配も、全てが沈黙していた。
まるで、世界が一枚の絵になって、音を忘れてしまったかのように。

俺は立っていた。教室の中央で、黒板を見つめていた。
その黒板には何も書かれていなかった。

粉すらない。
けれど、そこには“何かが書かれていた記憶”だけが、妙に濃くこびりついていた。

教室を出る。廊下の空気が重い。
まるで水中を歩いているみたいに、身体が遅れる。

階段を降りると、風が吹いた、ような気がした。
それもまた、記憶だけが残っていて、肌には何も触れていなかった。

そして、三階の曲がり角に彼はいた。

「恵樹」

渉だった。

どこにも傷も汚れもなく、制服の袖はきれいに折れていた。
しかしその笑みは、どうしても作り物のように見えた。

「いた。やっと、見つけた……」

その言い方が、どこか変だった。
心の底から安堵した声――でも、それは他人に向けたものではない。
まるで“自分自身を納得させるため”の安心だった。

「……昨日、帰ったあと、なにしてた? 連絡もつかなくてさ」

俺は答えられなかった。

昨日の記憶が抜けていた。
紙に穴が開いたみたいに、その時間だけがごっそり消えていた。

「蝉、鳴いてないね」

渉は言った。窓の外を見上げる。

「ずっと、夏なんだと思ってた。けど、これ、本当に夏か?」

俺は窓の外を見る。

空は青すぎた。
まるで、昼と夜をわけるための仮の空だった。
きれいすぎる、というのは、どこかで嘘だということだ。

「なあ、恵樹。お前、今どこにいる?」

「ここに……いるだろ?」

「違う。お前、“どこ”にいる?」

渉は、目を見開いて俺を見ていた。
だが、その目の奥には、何かが映っていなかった。

鏡のように。

「思い出してよ。ちゃんと、思い出して」

そう言って、渉は手を伸ばした。

だけど――その指先が、俺の肩を通り抜けた。

影が、床に落ちていなかった。

俺はようやく気づいた。
この渉は、ここにいない。

いや、最初から俺が見たい渉だったのかもしれない。

空は青かった。

けれど、それは本当に空だったのか?
もしかすると、天井だったのかもしれない。
蝉の声がないのは、夏じゃないからじゃない。
“ここ”に、蝉がいないだけかもしれない。

「……わかったよ」

俺がそう呟くと、渉はすっと目を細め、微笑んだ。
そして、ゆっくりと輪郭を曖昧にして、空気に溶けていった。

まるで最初から、彼という存在が幻だったように。


= 5 =


目を開けると、また同じ教室だった。

ただ、何かが違っていた。
掲示板に貼られているポスターが、どれも日付の書かれていないものに差し変わっていた。
落書きのような線が走り、誰が描いたとも知れぬ絵が、じっとこっちを見ていた。
まるで「ここに時間はない」とでも言うように。

机の位置が、少しずれている。

椅子の脚が微かに浮いている。
天井の蛍光灯が、光を放っていないのに、昼よりも明るい。

俺は教室を出た。

廊下を歩く。

音はない。床に靴音が落ちない。
何もかもが、音を吸い込んだ水槽のようだった。

階段の踊り場で、一人の生徒がうずくまっていた。

顔は見えなかった。

髪が目深に垂れ、どこか既視感のある制服。
だが、それは誰だったのか思い出せない。

そいつは、俺に顔を向けず、ただ呟いた。

「この町は……生きてるんだよ」

意味はわからなかった。けれど、恐ろしく的確な気がした。
言葉が脳に直接、痕を焼きつける。

“町が生きている”

それはつまり、変化しているということ。
だが、意志を持って誰かのために変化しているのだとしたら――
その“誰か”は、一体誰だ?

俺か? 渉か? あるいは……

ふいに、目の前の生徒が立ち上がった。

そして、何事もなかったように廊下を歩いていく。
俺のことなど、初めから見ていなかったかのように。

窓の外を見た。

空の青が、ひときわ深くなっていた。
塗りたくられたような、不自然なほどの蒼。
その下で、校庭の砂は一粒も揺れていなかった。

まるで、時間が“歩みをやめている”かのように。

ふと、ポケットに手を入れると、何かが触れた。

それは――何もなかった。

指の間に何かがあると確信していたのに、取り出してみれば、空。
しかし、触れた感触だけは、確かにあった。

存在しないものに触れる感覚。
それが、この日の入町の“真の気候”なのかもしれないと思った。

ふと視線を上げると、また、渉がいた。

しかし今度は、彼は何も言わなかった。
黒板の前に立ち、白いチョークで、なにかを書きつけている。

その字は、俺には読めなかった。
文字の形は、言葉のようで言葉でなく、まるで“かつて知っていたもの”の模倣だった。

渉は俺を振り返り、静かに笑った。
だけどその顔は、昨日の彼とも、今朝の彼とも、違っていた。

そして、言った。

「恵樹、お前は、まだ“外”にいるよ」

外? 何の外だ?
ここが学校で、町で、夏で、昼なのに?
それとも、俺は――

言葉の奥にあるものを掴もうとしたその瞬間、視界が白く染まった。

光のようでいて、影のような白。
そして、音のない、かすかな風の音だけが、耳の奥に残っていた。

俺は、どこにいる?
ここは、本当に、夏だったか?


= 6 =


水面の奥から音がする。
だがそれは、水が鳴っているのではなく、耳の奥で音がしているのだった。
耳の膜が、内側から、ゆっくりと凪いでいる。
ぽつり、ぽつりと、かすかに、しずかに、なにかが落ちている音。

教室は空だった。
雨が降っていた。

いや、雨が降っていたような気がしただけで、
窓には何も打ちつけていない。

けれど、空気は濡れていた。

恵樹は、濡れた黒板を見つめていた。
濡れているわけではなかった。
だがそこには、滲んだ文字の跡があった。

誰かが書いた名前のようだったが、
何度も拭き取られたのか、それはもう名前ではなかった。

(……名前って、なんであるんだろ)

問いかけたつもりだったが、声は出なかった。
発声の仕方を、一瞬だけ忘れていた。

そんなとき、渉がいた。
白いスニーカーを履いていて、濡れていないのに濡れた足音を響かせていた。
彼は、教室の外から恵樹を見ていた。
ガラス越しに、まるで生き物を観察するように。
さっきまで目の前にいた渉とはまた別の、渉。

「どうした」

声はしなかった。けれど、確かにそう言った。
恵樹はそれを、心の中ではなく、皮膚の上で受け取った。

「なんか、ちゃんと生きてる?」

これは、きっと渉ではない。
だけど、渉がいなければ持てなかった問いだ。
じゃあこれは何だ?
自分の分裂か、それとも記憶のなかの造形か。
わからない。

けれど、渉の言葉は、まっすぐだった。

「おまえが“まあ”とか言うときは、たいてい“ぜんぜん”だからな」

これは、前にも言われたことがある。
どこかで、確かにそう言っていた。

その記憶の奥、水の底に沈んでいた音が、またひとつ浮かび上がった。

今度は、本当に耳のなかで、ぽちゃん、と鳴った。


= 7 =


──気づいたときには、靴が濡れていた。
草の間を抜けた先で、溜池のような場所に立っていた。

水面には月が揺れていたが、夜空は晴れていなかった。

どこか、影だけが色を持っていた。

「……どうして、ここに」

声に出しても、誰も答えない。

渉の気配もない。

風すら止んでいた。
けれど、間違いなく聞いたのだ。

あのとき、名前を呼ばれて。

「恵樹」
そう、確かに。

まるでその一言が、古びた蓋をひとつ開けるようだった。
恵樹のなかに、一連の映像が流れ込む。
──無人の校舎、繰り返された「問い」。

渉のようでいて渉でなかった何か。
どれも確かに“渉の姿”をしていたが、どこかに違和があった。

仕草、間、呼吸。
そして、最後に目を合わせたとき、ふと気づいたのだ。

“あれ”は、恵樹の記憶から作られた渉だった。
「おまえなら、どうする?」という問いも、元を辿れば、ずっと自分のなかにあった。
夏の暑さと疲労、眠りと覚醒の狭間にできた、ほんの小さな歪み。
その隙間に、渉の姿を借りた何かが入り込んで、問いかけてきたのだ。

──それでも。

それでも、あの“渉”が差し出してくれた問いは、確かに恵樹自身を引き戻すきっかけになった。
見失っていた時間、自分がどこにいたのかもわからないような日々の、奥に潜んでいた感情。

静かに呼吸を整える。世界が輪郭を取り戻してくる。
朝の音、湿った空気、遠くで鳴る鳥の声。

そこにはもう誰もいない。けれど、すべてはここに残っていた。
日々は相変わらず暑く、くだらなく、気怠い。

それでも、時折風のなかに、あの問いの続きを探してしまう。

“おまえなら、どうする?”

答えは今も見つかっていない。
けれど、いつも通りの教室で、渉が何気なく言う。

「なー恵樹、今日ってさ、何曜日だっけ?」

「……え? 火曜じゃなかったっけ」

「いや、水曜って気がしてんだけどなあ。まあ、いっか。お前が言うならそれでいいや」

そんな他愛のない会話すら、今は少しだけまぶしく感じる。

曖昧な夢と現実の間で、恵樹はひとつの夏をくぐり抜けた。
何も解決していないようで、何かは変わった気がする。

その変化の名前は、まだ知らない。
でも確かに、空気が更に熱を含んでいく様だった。

まえにもここにきたことがある.png

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